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悲しみは、遠いところに行ったようでも、
ある日突然、すぐそばに立っています。
苦しみは、薄れていったように思えても、
やっぱり、私の中で静かに息をしています。
それでも失った命への思いは、少しづつ変わり、
新しい気持ちも、生まれてきます。
残された私は、息子と別れたその日の記憶よりも
一緒に過ごした普通の日々を、心のページでめくり、
生きている自分の現実を、大切にしようと誓うのです。
また来年の4月まで、できるだけ自分らしくありたいと。

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COMMENT
命日。。。
もう○年たったから。。。ではなく息子の死とどう向き合うか。。。
最初の一年、悲しみにふたをし、でも2年目からはずいぶん吐き出したようにも思います。
でも深い悲しみに陥ることも。
来月の命日を少しでも穏やかにむかえ、また新しい1年が始まる、そんな感じですが、今は気持ちが不安定です。
健康でご飯が食べれて、それがどんなにしあわせか、というのは頭ではわかっていても悲しみの大きさに心をどこに置いていいかわからなくなるときがあります。
最初の一年、悲しみにふたをし、でも2年目からはずいぶん吐き出したようにも思います。
でも深い悲しみに陥ることも。
来月の命日を少しでも穏やかにむかえ、また新しい1年が始まる、そんな感じですが、今は気持ちが不安定です。
健康でご飯が食べれて、それがどんなにしあわせか、というのは頭ではわかっていても悲しみの大きさに心をどこに置いていいかわからなくなるときがあります。

あくまで、私の勝手な考え方なのですが、、、、
「命日」は《 亡き人の為に、自分が何かをする日 》なのではなくて、亡き人との別れを通して、大きく学んだことを、確かなものにしていく為の目標となるような、そんな日であればと願っています。宗教の本来の教えよりも世間の慣しに追い立てられて、何年目だから仏事をせねばと苦しんでいた日々も、今思うと修行のようなものでした。
昨年仏壇を、モニュメントスタイルのものに買い替え、毎日眺めたくなるものになったことで、考え方が随分と変わり、人が決めたやり方でしか「供養」ができないわけではないと、やっとわかりました。要は心であり、形式にとらわれると、自分の中に違和感が生まれ、私はそれで、かなり苦しんできました。
亡き人を思う心は、何年経っても薄くしなくもいいし、どれだけ大事にしているかを人に見せる必要もないし、やっと私の自由になってきたように思います。
悲しみや苦しみも、やはり無駄ではありませんね。
しかし、この気候の不安定な時期は、自律神経も不調になりますから、私も命日が近づくと落ち着きを失ったり、感情的にもなりがちで、、、ほとほと参っちゃいます〜〜
「命日」は《 亡き人の為に、自分が何かをする日 》なのではなくて、亡き人との別れを通して、大きく学んだことを、確かなものにしていく為の目標となるような、そんな日であればと願っています。宗教の本来の教えよりも世間の慣しに追い立てられて、何年目だから仏事をせねばと苦しんでいた日々も、今思うと修行のようなものでした。
昨年仏壇を、モニュメントスタイルのものに買い替え、毎日眺めたくなるものになったことで、考え方が随分と変わり、人が決めたやり方でしか「供養」ができないわけではないと、やっとわかりました。要は心であり、形式にとらわれると、自分の中に違和感が生まれ、私はそれで、かなり苦しんできました。
亡き人を思う心は、何年経っても薄くしなくもいいし、どれだけ大事にしているかを人に見せる必要もないし、やっと私の自由になってきたように思います。
悲しみや苦しみも、やはり無駄ではありませんね。
しかし、この気候の不安定な時期は、自律神経も不調になりますから、私も命日が近づくと落ち着きを失ったり、感情的にもなりがちで、、、ほとほと参っちゃいます〜〜

今日が
息子さんの命日でしたか・・・
亡くなられて何年経とうとも、忘れたり記憶が薄れようはありませんよね。
花ごころさんの「生きている自分の現実を、大切にしようと誓う」気持ち、少しだけわかるような気がします。
亡くなられて何年経とうとも、忘れたり記憶が薄れようはありませんよね。
花ごころさんの「生きている自分の現実を、大切にしようと誓う」気持ち、少しだけわかるような気がします。


4月に悲しい別れがあったとだけ、御理解くださいね。
命日がすごく特別な行事の日という感覚は私と夫には薄く、それは多くの辛い記憶と連動しているせいかとも思うのですが、息子がもし今もここにいたらと仮定した「普通の日」のように過ごすのが、今のところは私達の「ベスト」です。
何年かして、自然と沸き上がって来た「生きる時間を与えられていることへの感謝の気持ち」は、息子からの「見えない遺産」だと思っています。

過ぎゆく時の中で
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HN:
花ごころ
性別:
女性
自己紹介:
名古屋市内で夫と暮す50代。
今を生きる[私]から[あなた]へ、気の向くままに思いをのせて、花びらが風に吹かれていくような、そんなことばのおたよりを綴ります。
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